このまち歩き 祇園町南側/宮川町
Miyagawacyo street. It’s seen an old style of Japanese architecture with people’s living.
2019年8月 建仁寺の南側 六波羅に引っ越して暮らし始めてから ちょうど1ヶ月の今日、神戸さんと先斗町軍団率いるこのまち歩きに参加しました。
町歩きのエリアは、祇園南町/宮川町という 今の暮らしにもっとも身近なまちだった。
祇園といえば、観光客でごった返す 綺麗に整備された花見小路を一番に思い出す。「京都のそれらしい雰囲気を味わえるから」私もよく海外の人を連れてきた。
本来の花街のエリアは 今の分布と違っていたこと。元の祇園六町という四条通り北側は 1864年ごろ度重なる火災で消失してしまい、祇園町南町(花見小路周辺)は後からできたいいとこ取りの新しいタイプの町家であること。そんなことを初めて知った。
広く拡幅された南町には路地がなく 建物の妻側までしげしげ眺めることができる。立て看板や駐車禁止のコーン(竹細工のようなもので囲われている)まで 細部に気を配っているので、できれば 花見小路を 不必要に車両が通過しなければもっといいのにと思った。
そして宮川町
この通りを毎日通勤で歩いていることを誇りに思う 一軒一軒が洗練された軒並みを揃えている。昼間は静まり返っている町家の通りを 欧米系観光客も心静かに 感動しながら歩いているに違いない。建物の白木の色がまだまだ新しい色をしているのは、メンテナンスしている証拠なのだろうか。
薄々気づいていたけれど、こんな街並みがわざわざそのまま保存されているのは、京都市内でも実はとても限られている。
大抵の近代的な建物、ビルやマンションは、歴史的建造物に調和するよう瓦屋根や茶色の格子でエントランスを飾り 体裁だけでも建物の意匠を整える努力をしているけど、景観保護以外の理由や必然性はあまりない。
「美的感覚を持ち上げるのは、(建物の)修理より時間がかかる」
いろんな事情があって、一回手放してしまった時間をかけて築かれた生活の美意識がただゆっくり消えていくのは残念だから、
また京都に帰ってきたときに、こうであったらいいなと思う人たちの手で 何か文化が新しく発展していたら、ただの京都好き日本人としてきっととても嬉しい。
そして大量消費のプレッシャーをかけられる国 アメリカで、きっと 全く違う価値観や生活意識に右往左往することになる。
でも 自分の中の日本の文化的な感覚は断捨離せず 人にインスパイアを与えたり それを生業にして 暮らしていけたらいいなぁと思う。