まちや、花、言葉。

2019年は転機と 不安の一年だった。

初めて勤めた会社を退職、東京から引越し、渡米、フィアンセビザ取得までの長い道のり、そして京都で過ごした夏。ビザを手に 本格的に渡米、入籍、グリーンハウス。このままではちょっと頑張れない、と 弱気になってた時期も多々あった。

そして京都の夏。伝えたい感謝の気持ちや言葉に残しておきたい気持ちを整理しなくては。ずっとそう思いながら10月、11月、12月… と毎月満月を眺めては とうとう年末を迎えてしまった。眩しいくらい懐かしい夏を 振り返るのを躊躇っていたけれど、京都で 何を感じて アメリカに何を持って来たのか、見つめ直して 2020年も前に進みたい。

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実家を飛び出し、最初は円町のシェアハウスに入居して、特に当てもなく生活が始まった。西村花店は ネットで知ったんだけど 花屋なのかもちょっとよく分からないまま、訪ねて行ったら 素敵なお店で惚れてしまった。少なくともここでは 言葉は通じるんだから、働くのは無理でも、この先生に 生け花を教えてもらえたらいいな。素性も分からない飛び込みの女の子を弟子と言ってよく置いてくれたよなぁ。。旅行まで連れてっていただいて。

一刻も早くフィアンセビザを手にしてアメリカに帰りたいと思っていたのに、西村花店で1ヶ月経つ頃には 少しでも長くいたくて、京都での大半の時間を 西村花店と木屋町界隈で過ごしていた。

花屋に通う当初は、週に3日 朝9時に行って 夕方ごろに 解散!していた。 西村先生が早朝から仕入れてきた花のラッピングを剥がし、葉をむしったり、新聞紙で巻いたあと、茎を切って水揚げをする。湯あげのお湯が沸いた頃には他を終わらせたいんだけど、手際が悪くて いつまでも菊の葉っぱに時間かける。

花をディスプレイする前に、古い水を捨てて、器を全て洗い、新しい水で満たす。綺麗になるのは気持ちがいい。西村花店の花の陳列は ちょっとしたテクニックが必要で、私が時間をかけて器と花を行ったり来たりさせて ようやく並べてもしっくりこなくて、でも 先生がさらっと直すと全然違ってみえる。

お店の大きな火鉢を洗って新しい水を入れるのが好きだった。古い酒屋の前掛けを着けると気分が上がった。土曜日の花生け部や花道部に参加させてもらった。

今年の7月の京都は、梅雨ばっかりだったけど、京都にしては 暑すぎず快適な夏だった。8月は思い出したような 酷暑で、コーラをたくさん飲んだ。いろはさん帰りは なんで雨に降られてばかりだったのか。

一度だけ、朝6時に京都花卸市場に連れてってもらって、クーラーでひんやりした市場をウロウロしていた。花のタグに書かれている花の単価らしき数字は 普通の人にわからないようになっていて、見方を教えてもらうまで読めなかった。そして 仕入れにきたどの花屋さんも 真剣に花を選んでいた。

お盆も過ぎた頃、木屋町近隣の高瀬川夏祭りに参加して、高瀬舟の運行のお手伝い。高瀬川に入ったのは初めてで、川から見上げた木屋町の通りに 商売で賑わう江戸時代の風景を重ねてみた。浴衣に着替えて 近隣の賑わいの中でビールを飲んだ。橋の下につっかえたままだった高瀬舟、どうなったのかな。

郡上八幡への旅。郡上ディレクター神戸さんに従って巡り、初めての街の見方を教えてもらった。こんなにテクニカルな盆踊り 初めてだったけど、そこにいる人みんなかっこよくて、自分もその場の一部になっていて、とっても楽しかった。郡上のすべての景色が美しかった。日本の原風景とも言える郡上の水と暮らすまちの様子に心が揺れた。

9月、ビザ面接を受けて、いよいよお別れのときかな… と思う頃、西村花店には夜遅くまで居座るようになって、神戸さんに作ってもらった夜ご飯(お昼ご飯もだけど)をバックヤードで囲みながら、夜な夜な 先生のシャープな議題について 答えを探す。 楽しくて、次の日はもっと遅くまで居るようになる。

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人のしがらみが行き交う先斗町通りから路地に入り、雑多な木屋町。

花屋の建物は 古い町家で、カラフルな花が可憐に引き立って、マキとか松とかが奥の方で渋く凛とした雰囲気を醸している。

結局、私がアメリカに持って来られたものは、日本の暮らしの知恵でも 花の技術でもなく、先生の生き方や姿勢なのかもしれないと思う。日本の季節にさらされて、情熱を纏って花を生ける西村先生に出会って、私もこれからの自分の人生を もっと愛そうと思うようになった。アメリカに暮らしても 結婚しても 人生のハンドルは自分で握り 自分の答えを探さないとだめだ。

そして、幸せを築いていくって たまに辛くて、孤独を感じることもあるんだな。いらないものを捨てないといけないし、他人の期待に応えていかないといけない。身軽になって、前よりも不安定になって、でも自由にもなって 「私、カッコイイ」ってきちんと自己満足に浸れるようになるにはどのくらいかかるかな。わからないけど、そうなりたい。

日本文化の知識や技術は これからもアメリカで暮らしながらだって学べると思う。

日本、日本って主張するのは 民族単位の文化が入り混じっては日々衝突の絶えないアメリカでは ちょっと閉鎖的な気もするけど、「これが私の(日本の)文化やねんで」と言えることは 素晴らしいことだと思う。側から見て それが素晴らしいというより、自分の居場所を確保しているような なんかそんな心強く思えることが有難くて必要なこと。

自分を見つめ直すきっかけをくれた京都での夏。 ここまで途切れ途切れ 書くのに、3ヶ月もかかってしまったけど、アメリカに持ってきた 京都で過ごした時間は 日本に残してきたものを遥かに上回っていて、これを拠りどころに 新しいことも初めていこうと思う。12月も最後になって、日本を立つ前に発送したダンボールがようやく届いて、花生け部や先斗町まちづくりのファイルを手にして胸がいっぱいになった。

かけがえのない時間を 有難うございました。しっかりと 自分の人生だと思える生き方をします。

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